プロジェクトマネジメントの話とか

「プロジェクト管理」をはじめ、心理学・ライフハック・仕事の話などを書いています。


仕事の属人化・ブラックボックス化で自分の価値を高める人たち。


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 こんにちは、wiz7です。先日、仲の良い同僚に「俺って完璧主義なトコロがあるんですよ」と話したら爆笑されました。そこ笑うとこじゃねえし。


 仕事をしていれば、綺麗ごとだけでは済まされない状況に遭遇することが多々あります。ピュアで心優しいあなたが望むか否かに関わらず、ビジネスパーソンには「策士」であることが求められるわけです。

 そんなビジネスマンが、どのような形で「強かさ・腹黒さ・計算高さ」を兼ね備えておくべきかについて考えてみましょう。

タスクを「ブラックボックス化・属人化」することの無意味さと、そのリスク

 以前、寄稿した記事の中で、意図的に情報共有を断ち自分の仕事を「属人化・ブラックボックス化」することで評価を高めようとする人たちが存在する話をしました。 非常に迷惑極まりないですヨねぇ……。
※属人化の防止策についても言及しているので、ご参考に!

next.rikunabi.com

 「この仕様は○○さんに聞かないと誰もわからないな」「やっぱり○○さんが一番詳しいね」といった状態を意図的に作り出し、自分の評価・価値を高めようとする人たちです。
~(中略)~
 もしあなたに少しでも心当たりがあるのであれば、即刻止めることをオススメします。

 本文中でも述べている通り、あらゆる小細工は周囲の人間に全て見透かされている、と考えて間違いありません。例えば、上手く立ち回ろうとしている同僚に対して「あ、アイツさぼってんな……」「うまくミスを揉み消したなー!」などと気付くことって、よくありませんか?

 得てしてこのような場合、周囲に気づかれていないと思っているのは「当の本人のみ」だったりするわけです。

 なぜ彼らは、ブラックボックス化を企てるのでしょうか?

 結論から言えば彼らは「自信がない」ため、策を企てるのです。

 自身のスキルに自信がないため、いかなる手段を使ってでも組織内の評価を獲得すべく、手を尽くすわけです。逆に、自分に自信がある人は評価は後から自然についてくることを知っているので、このような小細工を仕掛ける必要もないわけです。単純な理屈ですね。

 そして前述の通り、その不毛な戦略・画策は周囲から見透かされてしまうため、逆効果にすらなってしまうのです。正に愚の骨頂です。

 ではここでもう一つ、自信がないダメな人たちに見られる「典型的な症状」を考えてみましょう。

「あいつの書いたコードはクソだ!」などと批判する人間に、デキる人がいない理由

「アイツのプログラムはダメだ」「彼の作った設計書はいつも品質が悪い」

 このセリフ、IT業界に身を置いている人であれば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?僕はミニにタコができるほど聞いてきました。

 本当に品質が悪いケースも多々あるので難しいところではありますが……ただ、実際に品質を確認してみると、それほど悪くなかった、ということが往々にしてあるわけです。

 これも先ほどと同様、「自分に自信がない」ことが原因で、相手を貶めることで相対的に「自分の方が上だ」と周囲にアピールすることにより、何とか自尊心を保とうしているわけですね。

 こちらもやはり、周囲のメンバーらには「この人はアピールに必死だなぁ……」としか映らないわけです。評価は上がるどころか、もくろみとは逆に下がる一方です。

 本当に自信とスキルがある人間は、他人をむやみやたらに貶めることは絶対にありません。
 
 自身も過去にスキルの無い時代を経験してきているため、「その痛みを知っている」こと、そして仕事の9割は「人間関係・コミュニケーション」から成り立っていることを熟知しているためです。

人のあるべき姿って?

 僕がこれら「情報のブラックボックス化」「不必要な批判」の例から言いたいことは、「したたかさや計算高さ」は社会人に必須ではあるものの、それを誤った方向に行使した瞬間、自分の首を絞め、自分を追い詰める危険性がある、ということです。
 
 小学校の「道徳の授業」ような話になってしまいますが……あるべき方向に力を行使することで初めて人間は本来の力を発揮できるのです。そもそも考えてもみてください。「後ろめたさ」を頭の片隅に感じながら、あなたは全力疾走できますか?頭のどこかでブレーキがかかってしまいますよね?そんな状態で楽しいワケがないのです。
 
 その悪しき状態が行動に大きく影響を及ぼし、悪い結果につながっていく。これが世間一般で言われている「因果応報」のメカニズムです。これはオカルトとは一切無関係です。

 某東○芝の「不正会計」が騒がれているようですが、そのトップらが日々、どのような気分で仕事をしていたのでしょうか?推して知るべしですね。

誰よりも「周囲のこと」を考えていた同僚

 ここで一つ、ズバ抜けて優秀だった元同僚のエピソードを紹介します。

 常にチームの中心にいた彼は、毎週、木曜・金曜あたりになると、週末の土日の間に「○○山へ遊びに行く!」と、雑談がてら周囲の同僚に言い振らし始めます。また、日頃から自分の持っている情報は極力周囲へ共有し、自分だけが握っている状態を回避していたのでした。

 「自分は一人で出かけることも多いから、何か起これば誰とも連絡が取れなくなる。事故や災害に巻き込まれても、事前に行き先を伝えておけば、それが手掛かりになる」とは元同僚の弁。

 出かけ先まで共有するのは、さすがに仕事のためだけではないのでしょうが、「自分だけが握る情報・タスクを限りなくゼロに近づける」ことをここまで徹底している人を、僕は見たことがありませんでした。今まで様々な人たちに出会ってきましたが、このような人は初めてだったので、酷く驚愕したことを昨日のことのように覚えています。

 そして実際、プロジェクトの超重要な「キーマン」であるにもかかわらず、チームを離脱する際も、引き継ぎらしい引き継ぎ作業があまり発生しなかったのでした。今思い返しても、なんとも不思議な話です。

なぜこの同僚は、そこまで周囲のことが考えられたのか?

 自分がキーマンでありながらも、自分が突然居なくなってもチームが回ること――。

 マネージャーでもない彼がメリットを度外視して、なぜそこまでできるのか。僕は本人に聞くことができませんでした。聞くのが怖かったのだと思います。「ええっ?チームで仕事してんだから、そんなの当たり前っしょ?」と、軽蔑されることを恐れていたのでしょう。
 
 チーム、顧客に与えることが、結果的にリターンにつながる、という原則を熟知していたのかもしれませんが、恐らく彼はリターン云々の次元で仕事をしていませんでした。彼が見ていたのは社内ではなく、ユーザと社会の発展だったのだと思います。「社会貢献」と言ってしまうと、とたんに陳腐な響きとなってしまいますが、結局はそこなんですよね。
「Win-Win」の大きな勘違い―Google社と7つの習慣【第4の習慣】から考える。 - プロジェクトマネジメントの話とか

 正直言うと、僕もそれなりにチームのことを考え、マメに情報共有を行いながら進めてきた「つもり」になっていたのですが、僕は彼の足元にも及びませんでした。仕事に対する姿勢自体に、歴然とした差があったわけです。

 もちろん、必ずしもそこまでする必要があるのか?と問われれば、正直わかりません。ただ、仕事に対する姿勢が僕とは別次元にあることを知ったとき、強い衝撃を受けると同時に、「全体を俯瞰していた気になっていた」自分を恥じたのでした。

健全な処世術としての、人に恥じない「したたかさ」

 仕事は遊びではありません。サークル活動でもありません。「真っ直ぐにのみ」進めるほど、生易しいものではないのです。

 特に、生き馬の目を抜く外資系金融(で働いたことはありませんが、何となくそんなイメージ……)などでは、戦略的な計算に基づいた行動が常に要求されることでしょう。ひたすらゴマをすりつづけ、上手く上司に取り入る政治力も必須でしょう。

 策士であることを否定するつもりは毛頭ありません。それがビジネスの実情です。

 ただーー。

 どうせ頭を使うのであれば、その場しのぎの小細工で取り繕うのではなく、長期的な戦略に基づいた、人に恥じることのない堂々とした「したたかさ」や「計算高さを」持ちたいと思うのです。

 「アイツはぬるい!」

 そう言われることもあるでしょう。3年後の僕がこの記事を読み返したら「うへぇ……青臭え(笑)」と穴があったら入りたくなるかもしれません。

 それでもやはり僕は、前述の元同僚のような、キッチリと世の中を俯瞰できる存在になりたい、そんなことを考えたのでした。
 しかるべき、強かさと計算高さと腹黒さと、恋しさとせつなさと心強さを兼ね備えて!
 
じゃ、今日も楽しんでいきまっしょい!

 

補足(後日追記)

「属人化の防止」を実現させるのはマネージャーの仕事だ、というご指摘がいくつかありましたが、それについては前述の寄稿記事の中にて深く言及しているため、是非そちらも参照ください!

 

photo by Creative Sustainability


photo by Philip Chapman-Bell

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