プロジェクトマネジメントの話とか

「プロジェクト管理」をはじめ、心理学・ライフハック・仕事の話などを書いています。


人のため?自分のため?社会貢献の誤解と7つの習慣【第7の習慣】

 「世のため、人のために!」
 「人さまの役に立つ仕事をしましょう!」

 小学校の道徳の授業に出てきそうな、この歯の浮くようなセリフ。

 「ホントかよ?世間さまの前に、自分の食い扶持をシッカリ確保することが先決じゃないの?」
 「自分が楽しくなかったら意味ないでしょ!」

 などといった考え方が出てくるのは至極真っ当な話ですし、むしろその方がよっぽど健全な思考だと僕は思います。

 その前提の上で僕は、人のために力を行使し社会貢献することは、この上なく楽しいことだと断言します。

 詳細は後述しますが、初めて僕が世間一般の人々が利用するシステム(BtoC)の開発に携わったときに、「オレのやってることが、世の役に立っているじゃん!」「仕事って面白れー!」を肌で体感しました。
 そのとき僕は、西野カナも驚くほどに嬉しくて楽しくて震えながら仕事をしていたのです。

 ……ここだけ読むと、ただの変態ですが僕は元気です。

 僕の小さな経験値、心理学・社会学をはじめとする学術的な見解や、故コヴィー博士による何万人にのぼる検証結果を、あなたに一方的に押しつけるつもりは毛頭ありません。

 あなたにとっては、あなたの価値観だけが常に「正」だからです。

 でもーー。

 もし、人のために力を使おうとすることで、あなたの中に眠る力を引き出すことができるとしたら?
 その結果、自分も人もハッピーになれたとしたら?

 やはりそれが可能であれば、それほど楽しいことはないと思いませんか?

 今回の記事が、あなたの仕事観を形成する上で何らかのヒントにになり得たとしたら幸いです。

以下の過去記事
「Win-Win」の大きな勘違い―Google社と7つの習慣【第4の習慣】から考える。 - プロジェクトマネジメントの話とか
では、大きな視点で経営・ビジネスの観点から社会貢献の意味について考えてみましたが、今回は身近な視点で「個人と社会貢献」について、7つの習慣の「第7の習慣」と併せて考えてみたいと思います。

 

第7の習慣「刃を研ぐ」ことの意味と概要

 社会貢献の話の前に、第7の習慣について概要を簡単に確認しておきましょう。
 ※社会貢献のお話は次節へスキップ!

森の中で、必死で木を切り倒そうとしている人に出会ったとしよう。
「何をしているんです?」とあなたは聞く。
すると男は投げやりに答える。
「見ればわかるだろう。この木を切っているんだ」
「疲れているみたいですね。いつからやっているんですか?」
あなたは大声で尋ねる。
「もう五時間だ。くたくただよ。大変な仕事だ」
「それなら、少し休んで、ノコギリの刃を研いだらどうです? そうすれば、もっとはかどりますよ」とあなたは助言する。
すると男ははき出すように言う。
「切るのに忙しくて、刃を研ぐ時間なんかあるもんか!」
(location 6195)

 このエピソードが示すように、目の前の作業だけに囚われることなく、未来の自分に投資する習慣を身につけよう!という考えが第7の習慣のベースとなります。
 以下のマトリクスを復習しましょう。

表1:7つの習慣お約束のマトリクス

  緊急 緊急でない
重要

第1領域
緊急で重要なこと

第2領域
緊急ではないが重要なこと

重要でない

第3領域
緊急だが重要ではないこと

第4領域
緊急でも重要でもないこと

 人生を最期から逆算・イメージし、上記のの「第2領域」の仕事にどれだけ時間を割けるかによって、自身の5年後、10年後、20年後が大きく変わっていくことになります。

 また、第7の習慣の概要は主に、以下の4点から構成されます。

  • 肉体的側面
  • 知的側面
  • 精神的側面
  • 社会・情緒的側面

 「肉体的側面」については、運動習慣を身につけることの効果と重要性、「知的側面」では、幅広い教養を身につけることの重要性が説かれています。
 ……と、ありがちな話をここで展開しても仕方がないので、今回は、社会貢献という言葉のイメージから受ける「大きな誤解」、そしてその「本当の意味」や「重要性」についてフォオーカスしたいと思います。

 

        社会貢献を第7の習慣「刃を研ぐ」から考える

 「精神的側面」の項目では、故コヴィー博士は下記のように説きます。

自分が人のためになっていると思える限り、仕事はうまくいく。自分のことしか考えずにやっていると、うまくいかなくなる。これは万有引力と同じくらいに確かな法則なのだ(location 6341)

また、「社会・情緒的側面」の項目でも以下のように説明しています。

人に奉仕し、人の役に立つことも心の安定をもたらす。その意味からすれば、あなたの仕事も心の安定を与える源になる(location 6463)

ストレスの研究で名高い故ハンス・エリセ博士は、健康で幸せに長生きする鍵は、世の中に貢献し、人のためになり、自分の気持ちも高揚する有意義な活動に身を捧げ、人の生活に喜びをもたらすことだと述べている。(location 6470)

このように、故コヴィー博士は一貫して「人のために、世の中に貢献せよ!」と述べています。
 故コヴィー博士の『7つの習慣』は世界で最も売れたビジネス書であることも併せて考えると、信憑性の高い言説だと考えて問題ないでしょう。

 とはいえ、話をそのまま鵜呑みにし思考停止状態に陥るのは大問題なので、その妥当性について考えていきましょう。

 まずは、次節にて社会貢献という響きから受ける、誤ったイメージについて考えていきます。

 やっとここからが本題。いつものオレオレ理論の展開です!

 

社会貢献の誤解と本当の意味

 先に結論から書きます。

 誤解を恐れずに言えば、社会貢献は人のためではなく自分のために行うものなのです。

 冒頭でも述べましたが、綺麗事を並べ退屈な話をしても誰も得をしないのでダイレクトに書きますが、人間は自分が一番可愛く、常に「オレがオレが、私が私が」なのです。

 当然ですよね?自分の人生の主役は自分で、自分は特別な存在なのです。

 つまり、「人のため」「社会貢献」というものの、結局は自分が気持ちよいからやっているのであり、その結果、人の役に立っているに過ぎないのです。

 ……って、少し言い過ぎましたが、だいたい合ってる、うん。

 もう少し噛み砕き、踏み込んで説明します。

 人の役に立つことと、自分が気持ちよくなることは表裏一体の関係なのです。

 鶏が先か卵が先かという問題はあるとは思います。ただ、「自分はどうなってもいいから貢献するぞー」というよりは、「(人の役に立つので)自分が気持ちいい!それでもって人の役にも立つ!ウェーイwww」と考えた方がよっぽど健全な気がしませんか?
 ウェーイwwwは全く関係ありませんでした。

 つまり厳密に表現するならば、「人のため」と「自分のため」は同時に存在する概念だということです。

 そして、自分が気持ちよくなることで、人間は様々なメリットを享受することになります。
 ここに自分の力を引き出すカギが存在します。

 次節ではこの現象ついて、様々な例を元に考えていきましょう。

 

社会貢献することの効果と威力

 ここで僕の経験談を少し。

 冒頭にて、僕が世間の人たちが利用するシステム開発に初めて関わった際、やたらと楽しかった、と述べましたが、仕事の内容自体は非常に単調で苦痛なデバッグ作業(=人が作った誤ったプログラムの修正作業)だったのでした。

 にも関わらず、そのシステムの利用者は、はてなブックマークのような「自分を含めた世の中の多くの人たち」だったため、プログラムを修正する過程でも、世の中の利用者を具体的にイメージすることができ「自分は役に立っている!」という強い実感を得ることができたのです。

 僕がそのときに感じたのは「自分が、開けた世の中と直接繋がっている」という感覚でした。*1

 そして特筆すべきは、それまでの自分に比べ、明らかにパフォーマンスが向上していたということです。
 何よりも「役に立って楽しい!面白い!」という感覚が先行していたからなんですよね。

 理屈抜きで「楽しい!」「面白れー!」と感じたとき、人の能力は開放されます。

 ごく当たり前の話をしていますが、抑圧され閉塞した環境にいると人は、この点を忘れる傾向にあるのです。

◆元ヤンキースの松井秀喜が考える「チームのため=自分のため」

 昔、何かのテレビで彼は試合に対する考え方を語っていたのですが、
「自分の打率や本塁打のことよりも『チームの優勝を願うこと』が、結果的に自分のパフォーマンスを最大限に引き出すのに一番効果があることを、僕は経験的に理解している」
と話していました。

 権威主義に陥り盲信するのはナンセンスですが、コレを聞いて腑に落ちた僕は、ああ、やっぱりそうか!と自分の考えに確信を持ったのでした。

 決して綺麗事などではなく、「自分のため」と「人のため」が同時に存在する、という意味では全くブレてはいなかったわけです。

貢献することで自分に返る
図1:殻に閉じこもらずに貢献することで刺激を得られ、結果的に力が発揮される

 人のため、世の中のために自分の力を使うと、人間は元気になって想像以上の力が出てくるわけです。

 

もっと楽に、面白く。力を引き出すための施策を考えよう!

 次に、みんながハッピーになれるような具体的な方法がないか、探っていきましょう。

 就職・転職を検討している人は、仕事を選ぶ際に社会貢献度を一つの要素として選ぶのも一つの方法かと思います。実際に仕事を経験してみないとわかりませんが、上手くいけばアナタの力を大きく押し上げてくれるでしょう。

 ちなみに、僕が過去に転職した際には「BtoCの案件に深く関われること」を一つの条件に挙げました。結果、日々楽しく仕事ができています。言うまでもありませんが、これは個人の価値観の問題なので、自分が楽しいと感じることを最優先させることが肝要だと思います。

 ――とはいえ。

 今の仕事で貢献している実感を得られないからと言って気軽に転職を繰り返すわけにもいませんよね。
 今の仕事の中に「人のため、世間のために貢献できる」と感じられるポイントを能動的に探していく必要があるわけです。

 

身の回りに潜む「貢献ポイント」を浮き彫りにする2つのステップ

 必要なのは、人のためになっている!社会貢献できている!という実感です。その実感を得るために、フィードバック(=人からの反応)を受けるのも効果的です。

 これを確認するには、2つの作業が必要になります。

1.自分と外部の「接続パス」の洗い出し

 まず、自分がどのような形で「人」とつながっているかを再度確認してみましょう。

 家族、恋人、友人、知人、顧客、利用ユーザ、同僚、部下、上司……etc.

身の周りのつながりを洗い出す図2:人とのつながり(力の流れのパス)を再チェックする

 自分を取り巻く周囲の人達との関係を確認することで、自分が持つ力がどのように外へ流れ、また、外からどう力を受けるのか。そのパス(=通路・経路)を確認します。

2.「外部への接続パス」に関わる仕事は何?

 次に、洗いだしたパスに、仕事がどう関わってくるのかを確認します。

 わかりやすい例は、僕が先ほど挙げた「Webサービスの提供」がありますね。

 利用者数があれば、TwitterなどのSNS、2ch、その他ネット上の口コミ評価などから利用者の声をダイレクトに確認できますし、その確認の過程で大きくモチベーションが上がる(逆に下がる!?)こともあるでしょう。

ユーザからのフィードバックを確認する
図3:自分とユーザとの関係から、フィードバックを考える

 とはいえ、このように容易にフィードバックを受けられる例ばかりではないと思います。

◆身近な人との繋がりが重要

 「顧客・ユーザの顔・声がなかなか届かくて実感が沸かない……」
 このような場合は、もう少し身近なポイントを考えてみる方法もあるかと思います。

 例えば……
 「この部分をサポートしたら仲の良い同僚が喜んでくれるかも!」や、「ここで踏ん張って昇格すれば、もう少し親を楽させられるかも!」など、考え方はいくらでもあるわけですよね。

 むしろこのように、身近な人に力を尽くそうとする姿勢の方が、より大きな喜び・効果が得られるかもしれませんよね!

 

さいごに。今回の話は全部忘れて!

 ……とまあ、長々と講釈を垂れてきたわけですが、今回お話した内容は全部忘れてしまってください!


 今が苦しい時は、人は自分のこと以外何も考えられないかもしれません。それでもいいと思います。休みながら、少しずつゆっくり歩けばいいと思います。
 やがて、少しだけ力が出てきたら。そのときに考えてみてください。


 目を閉じ、こんなことを想像してみてください。
 
 大切な恋人・家族・友人に、あなたはとっておきのサプライズのプレゼントを渡しました。

 プレゼントを受け取った相手が、思いっきりしわくちゃの顔で「うれしい!」と、この上ない満面の笑みで応えてくれたら――

 あなたはどう感じますか?

 そこには打算など、一切なくて。

  多分、結局は理屈抜きで、そういうことなんだと思うんです。

 あの人の。世の中の。笑顔のために。
 そして同時に自分のために。

 少しだけ、意識を外へつなげてみませんか?

 

 

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

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ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則

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*1:もちろん、BtoBのシステム開発がつまらない、などと言うつもりは毛頭ありません。むしろBtoBの方が顧客の顔が直接見えるメリットもありますし、BtoBでも楽しいシステムもたくさんありました。たまたま、そのタイミングで僕がそう感じた、というエピソードです。

仕事で干されたり壁にぶつかった時に知っておくべき4つの考え方。

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 社会人生活を続けていると、「長い修羅場を抜けると、そこは修羅の国でした」というような川端康成もビックリの展開にしばしば遭遇するものですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 今春に入社した新人君は、もうかれこれ半年になりますね。仕事は楽しいですか?苦しいですか?春は死にますか?

 いつしかアナタが本当に潰れそうになったとき、この記事が何かの役に立てれば幸いです。


 組織の中で働いていれば、幾度となく大きな壁があなたの前に立ちはだかります。詳細は後述しますが、僕にもそんな時期がありました。これからもあるかもしれません。

  • 自分の望む仕事がアサインされない(割り振られない)……
  • 能力は申し分ないはずなんだけど、上司に嫌われ窓際に追いやられちまった……
  • リストラの候補に挙げられ「追い出し部屋」への片道切符を掴まされようとしている……

 「常に前向きで、笑顔でポジティブに行こう!また日は昇るさ!!」
 なーんて妄言を吐くほど、僕もおめでたくはないのでご安心ください。小学校の道徳の授業じゃないんだから。

 言うまでもなく、この荒れ狂う大海原は、終始「視界良好・順風満帆」を維持したまま渡り切れるほど甘いものではありません。

 ダメなときは、何をどうあがいてもダメなのです。

 身も蓋もありませんが、これは一つの真実です。

 当ブログの賢明な購読者の方々は既にお察しかと思いますが、僕が常に「少しでも楽に、少しでも面白く!」と言い続けているその背景には、大前提として「絶望的なほどに厳しく、険しい道のりだからこそ、少しでも楽しくやらね?」という意図があるのです。

 いいことばかりではないさ。
 だからこそーー。

 というわけで今回も、少しでも面白く楽しく過ごすため、目の前に立ちはだかる大きな壁・挫折の乗り越え方、対策について考えてみましょう。 

1.「ポジティブ」思考の大きな落とし穴を知る

 僕が社会人二年目でまだ駆け出しプログラマーの頃、一時、仕事を干されて(と言っていいのかわかりませんが)完全放置されていたことがありました。

 当時僕は、客先に常駐して仕事をしていたので、上司となったのは別会社の社員でした(仮にAさんとします)。Aさんは僕を教育する義務はありませんし、超多忙であることもあいまって僕を完全放置していたのでした。

 当然、僕は仕事をください!と申し出ましたが、ちょっと待って……と言い残し終日ミーティングに出払ってしまう始末。たまに空いた時間に仕事を振ってもらっていたのでした。一言で言えばマネジメントを放棄(=職務放棄ですね)していたのですが、Aさんをマネジメントすべきマネージャーも何も見られないありさまで、組織自体が半ば崩壊していたのでした。

 受身でいても仕方がないので、僕は周囲に「仕事ないスか?」などと常駐先で謎の求職活動を行いつつ、ちょっとした雑用(小さいタスク)を細々とこなすような日々を続けていました。

 自分が望むような、まとまった単位のタスクがアサインされない。しかも周囲はベテランばかりで自分のスキルも完全に不足している……。自分は必要とされていない。これは正直キツかったです。

 ――と、これは少し特殊な例かもしれませんが、このように自分の力で状況をすぐに改善できる見込みがない状況に置かれた場合に、即効性のある「結果」を強く求め過ぎると、逆に自分を苦しめることがあるのです。

 「一日でも早く、この状況を打破したい!」
 わかります。だからこそ――。

 あまりに「結果」(=状況の改善)を急いだばかりに、思うようにいかず心が折れ、戦意を喪失し、自暴自棄になってしまうのが一番最悪なパターンです。

 経営でも戦争でも同じですが、戦略・戦術を考える上での最重要項目の一つに「死なないこと、生き残ること」があります。

 何言ってんの、当たり前じゃないか?と思われるかもしれませんが、人は攻めることに意識をフォーカスしている間は、守り、現状を維持することの重要性について意識が希薄になることが往々にしてあるのです。

 「大ハマリ」した状況下では、無駄にあがいて消耗するのではなく、長期戦にもつれ込む可能性を視野に入れつつ、戦略的に淡々と「しかるべき作業」を地道に継続させる必要があるのです。 

2.チャンス!苦渋・辛酸を舐めながら得た記憶は、魂に深く刻まれる

 経験談に戻りますが、状況・風向きが一向に変わらないので、途方にくれた僕は目の前の雑用を消化しつつ、空いた時間を勉強に充てることにしました。

 具体的にはプログラムの勉強をしていたのですが、体系的にじっくりと学び直すことで、自分がいかに「わかった気になっていた」のがよく理解できたのでした。放置されたことで、それまでの実践の業務から得た断片的な知識を整理するための、大きな貴重な機会を得たのです。

 今振り返ってみても、当時勉強した内容が、その後の自分の技術的知識の全てのベースとなったと言えます。当時吸収した知識が血となり肉となり、今現在仕事をする中でも、それらが力を発揮してくれているのを感じています

 また、目の前の状況を少しでも改善すべく、細々とこなしてした雑用についても、腐らずに丁寧に対応していました。この経験も後に繋がっていき、やがて花開くことになるのですが、経験の「点と点」が、いつ繋がるかについては、その時点では人間に知る術はありません未来は見えないのですから。

 なので、必要なのは焦らずに当たり前のことを当たり前のように「淡々と進める」ことです。腐らずに、前を向いて進み続けること。自暴自棄になった瞬間、あなたは終わります。

 絶望に打ちひしがれ、心が折れる日もあると思います。

 疲れたのなら、ゆっくりと休めばいいのです。

 そしてまた、ゆっくりと一歩一歩積み重ねていくことが、いずれ到来する「上昇気流」にキッチリ乗り切るための必要条件なのだと僕は考えます。 

3.人生にもプラトー(停滞期)があることを理解する

 勉強やスポーツなどでよく言われる「プラトー」という考え方。

 目に見える実力は練習量・努力量に単純に比例するわけではなく、「停滞しているように見える」時期が定期的に訪れるというものです。そこを抜けると再び伸びていくわけです。上昇と停滞を繰り返し、成長を繰り返すとされます。

プラトーの説明図

図1:練習量と実力の相関図から見たプラトー

 壁にぶつかっているあなたは、人生の「プラトー」にいます。何でもかんでも順調に進むことはありえません。壁にぶつかる時期というのは、目に見えないながらも力を蓄えている時期です。

 ただ単に停滞しているわけではなく、この先にくる上昇気流にきっちり乗るために、力を蓄える時期にいるわけです。

 だからこそ、腐らないことが最も重要になってきます。 

4.辞めてもいい。ただ、やることをやってから

 会社員は自由です。

 これは僕が常に言い続けていることですが、全ての選択権はあなたの中にあります。

 ケースバイケースではありますが、その場に留まることに意味を見出せないのであれば、さっさと部署異動なり転職するなりアクションを起こしたほうが良いこともあります。

 ただ、前述の通り状況を改善すべく、試行錯誤を継続することが大前提となります。

 その昔、『それが大事』という応援歌ド直球の曲が流行りました。

 その一節の、「負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じ抜くこと」のうちどれが一番大事なんだよ?というJ-POP界の往年の謎に対し、曲を作った大事MANブラザーズバンドの立川氏は「どれも大事じゃない!」とバッサリ切り捨てて笑いを取っていました。何ヶ月か前かな。

 それを聞いた僕はコレって案外、真実なのかもなー?と思ったんです。場合によっては投げ出すことが大事なのかもしれませんしね。

 繰り返しますが、会社員は自由です。

 いざとなった際の退路や抜け道は、いくらでもあるのです。

 逆説的ではありますが、今がどのような状況であれ、逃げ道や抜け道は無数に存在することを認識し、「どうにかなるさ!」という意識を常に持つこと。その上でリラックスして淡々と進むこと。これが一番大事なのかもしれませんね。


 心が折れそうなときには、未来が全く見えないかもしれません。

 なら、休みながら、目の前の一歩をゆっくりと。

 少しでも楽に。少しでも面白く。

 やがて吹く風に乗るために。

 

 

photo by HORIZON

道は開ける 新装版

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適当教典

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深い瞑想に進むには?多くのコツを理解してストレスフリーな生活を。

 ストレス解消、精神力・記憶力・発想力の向上の他、数多くの効果があるとされながらも、医学的根拠の少なさから「怪しさ」が先行し、敬遠されつつあった「瞑想」。

 しかし近年、その効果が医学的に解明されつつあり、アメリカでは徐々に普及されてきているという話もあるようです。

※前編(基礎編)は過去記事を参考に!

 体一つあれば誰にでも手軽に実践できるこの「瞑想」ですが、慣れてきたアナタはそろそろ次のステップに進みたいと思いませんか?

 もし仮にあたなが……

  • 瞑想で脳内の過去の膨大な記憶を閲覧・参照できたら?
  • 瞑想で過去の誤った思い込みや認識を、上書き・修正することができたら?
  • 瞑想で大きな快感を得ることができたら?

 おっと、ここだけ読むとオカルト臭満載ですが、瞑想は宗教とは無関係です(前述の過去記事1を参照のこと) 。これらの妥当性について、客観的に分析していきましょう。

 前述の過去記事1・2では「基礎編」として瞑想を紹介しましたが、今回は「深い瞑想」中に起こる現象を分析しながら、その実現方法に迫ってみたいと思います。

 今回は『楽しもう。瞑想』をベースに考えていきます。

楽しもう。瞑想?心に青空が広がる? 光文社知恵の森文庫

楽しもう。瞑想?心に青空が広がる? 光文社知恵の森文庫

 

 
※僕は瞑想の専門家でも研究者でもないため、今回は極力、主観を排除した客観的な記事にしたいと思います。

瞑想には2つの段階がある

 瞑想には2つの段階が存在するとのこと。一つは雑念を片付けていく「実践瞑想」。もう一つは深い瞑想とされる「境地瞑想」です。

■実践瞑想
 (働きかけが必要な段階)
1.「外部の情報」の遮断
2.「内部の現在情報」の整理整頓(片付け)

■境地瞑想
 (働きかけないことが必要な段階 )
1.「内部の過去情報」の閲覧など
2.「内部のその他の情報」の更改
3.快感(エクスタシー)の体験

(location 258)

 なお、この本では「考えるという精神的な作業行っている部分」を「マインド」という言葉で定義しています。そして人は「マインド」を使って思考している、と筆者は説きます。

 ちょっと、わかったようなわからないような話ですが……次節以降で、追って考えていきましょう。

実践瞑想(能動的な瞑想)

 前述の過去記事1でも説明した内容になりますが、「雑念が沸く→棚上げする→また雑念がわく……」を繰り返す過程が実践瞑想です。マインドにブレーキをかけることが目的です。

思考を抑圧したりしてとめるのではなく、思考の種を片付けて、「思考する必要がない状態」にして止めるのです。(location 468)

 ここで言うところの思考の種は、放っておくと大きくなる思考の元(気になることなど)です。これを片付けないことには、瞑想の目的である「無思考」には到達できません。

 前述の過去記事1で述べた、自身を客観的にみる「観照」をもってしても、無思考には到達できないとのこと。

 確かに、雑念が沸き続けるのであれば、それら根元をとり切らないと解決しない、というのは何となく理解できますよね。

忘れるのが不安でも、棚上げしてよい

 ここで一つの問題が出てきます。雑念を棚上げしようと思っても「マインド」がそれを抵抗する場合です。その場合は、あとで考える、というラベルを貼る必要があるとのこと。後から思い出すことができるのであれば、安心して棚上げが可能なのです。

大事な事案は、瞑想が終わったあと、いつでもスピーディーに思い出したり、考え始めたりすることができます。(location 608)

 ただ、あれもこれも……忘れないようにどうしても今考えたい!ということであれば、紙と鉛筆を持ち机に向かって、シッカリと考えた方がよいとのこと。

 確かにそのような状態で無心になれと言われても土台ムリですよね。どうしてもモヤモヤするのであれば、紙に吐き出してスッキリしてから取り組んだほうがマシだと思います。吐き出すためのノウハウは、下記記事を参考に!

『ゼロ秒思考』メモ書きでモヤモヤを吐き出し、スッキリ爆速。 - プロジェクトマネジメントの話とか

外部情報の遮断

 また、外部情報(音など)の遮断についてですが、これは内部に意識を集中することで結果的に遮断されることになります。これは僕らの日常性生活でも経験しますよね。

 ファミコンに集中していてで、オカンの「晩ご飯できたわよー」が聞こえなくなるイメージですね!余談ですが、僕は聞こえてても無視してたことがありました。ゴメンねカーチャン!

「境地瞑想」の入り口へ

 雑念の棚上げを繰り返すことで、いよいよ次のステップ「境地瞑想」の入り口に入ります。「境地門にいる」という表現もあるようです。

とても、シーンとした状態になります。巨大な宇宙の中に一人穏やかに浮かんでいるような、今まで経験したこともないほどの静けさになります。(location 817)

 この段階は、瞑想初心者でも比較的早くたどりつけるかと思います。

 頭がクリアになり、意識が一点に集中できる状態ですね。勉強・読書・掃除などの家事などを行う際、気持ちが落ち着き全神経が一点に集中できることってあるじゃないですか?あの感覚です!流行の言葉で表現するなら「マインドフルネス」ですね。

境地瞑想(何もしない瞑想)

 実践瞑想ではいろいろと工夫していましたが、境地瞑想ではその逆で「何もしないこと」がポイントになるとのこと。

 境地瞑想で体験する現象は、前述の通り以下の3点が代表的なものとなりますが、他にも様々な現象が起こるようです。そのへんは気長に経験を積んでいくしかないかもしれませんね!

  1. 「内部の過去情報」の閲覧など
  2. 「内部のその他の情報」の更改
  3. 快感(エクスタシー)の体験
 それでは、一つずつ分析していきましょう。
 

1.過去情報が鮮明に浮かび上がる

 過去の膨大な情報が、鮮明に浮かんでくるようです。

 人は事故などで生命の危機を感じると走馬灯が見えるといいます。脳内に蓄積されていた記憶を全て解放することで、直面する危機を回避するためだとも言われています。

 その情報には、普段全く意識していない(完全に忘却していたと思われる)情報が含まれていると思うのですが、瞑想でもそれと同様に、過去情報のライブラリが閲覧可能だということです。(メカニズムが同じかは不明ですけど。)

 そしてこの閲覧時には大きな安心感が得られると同時に、脳の活性化につながる、とのことです。確かに、普段全く使わない記憶領域にアクセスすることが可能であれば、脳が活性化されることは想像に難くありませんね。

2.「プログラム」(考え方、トラウマなど)の変更ができる

 瞑想の数ある効果の中でもかなり重要、かつ一歩間違えるとオカルト扱いされてしまう話なので、じっくりと考えてみましょう。

 過去情報の閲覧が一通り済むと、閲覧すべき場所がなくなったと感じる一方、「ちょっと行きづらい、参照しづらい」と感じる場所があるようです。そこに自ら出向くことで、捨てるべきプログラム(考え方)の原体験が存在するとのこと。

その原体験を、もう一度、境地瞑想中に再体験することができます。(中略)終わった瞬間に、新しい解釈による新しいプログラムにその場で置き換わります。(location 1051)

 これによって、悪い考え方、思い込みが抜去されることで、瞑想するたびに自分自身が軽快になっていく、とのこと。

 ココはやはり実際に経験してみないとわからない部分ではありますが、上書きが可能であるということは、自分は既に「正しい答え」を知っているわけです。無から有は生まれませんから。

 つまり、無意識の世界に根付いた考え方を、答えを知っている意識・理性が潜在意識にアクセスすることで矯正してくれる、ということだと考えられます。

 日頃、息を潜め奥に潜んでいる「潜在意識」をむき出しにし、そこへのアクセス・更新を容易にするのが「瞑想」なのでしょうね。

3.快感(エクスタシー)の体験

 筆者を含め、宝彩瞑想会(筆者主催の瞑想コミュニティ)のメンバが経験した境地瞑想で、過去の情報も閲覧していない、全く何も考えていない状態で起きている、とのことです。

 心身共に究極のリラックス状態が継続すれば、起こりうるかもしれませんね。これもやはり、確認するためには経験を積むしかないわけです。

瞑想上達の方法とコツ

 次に、実践的なコツについてみてみましょう。実際に自分で体験することが全てなので、自分なりのコツを早く見つけることが一番だとは思いますが、先人たちが積み上げてきた知恵を拝借した方が、上達も早くなることでしょう。
 瞑想に限らず、何でも同じことですよね。

マントラに戻ることに囚われすぎてはいけない

 前述の過去記事1でも説明した通り、瞑想中は言葉(=マントラ)を頭の中でつぶやきます。この言葉は雑念を際立たせるために利用しているものですが、この言葉自体に囚われすぎると、本来、退治すべき雑念がマントラの影に隠れてしまうとのこと。

 やはり、あくまでも雑念をたたくための手段として、ほどほどに考えるのがよいようです。

呼吸に集中しすぎてはいけない

 よく、瞑想するには「呼吸に集中せよ!」という話を聞きます。これは半分正しいのですが、瞑想が深い段階では、呼吸を意識しすぎるのもよくないようです。

 最終的には呼吸への意識自体も棚上げする必要があるためです。何でもそうですが、力むことはよくないようですね。

瞑想は、毎回内容が異なるので、変化に気付くこと

 毎回、同じように瞑想をしたとしても、全く同じ内容になることはないため、その変化に毎回気付くことが大切なようです。そして、瞑想した日の一日も良く観察します。自分の考え方、感じ方にも注意を払うべき、とのこと。

 これは瞑想初心者でも、色々と気付くことが多いかと思います。特に自分の思考を客観視(=メタ認知)できている自分に気付くことがあります。脳が冷静沈着、かつ元気でアクティブな状態を瞑想が作ってくれるのです。

雑念は、完全に片付ける必要はない

本来の目的は、片付けることそのものではなく、第二段階に進むことです。であるなら、少々片付いていなくても、第二段階に入れるなら、入ったほうが良いわけです。(location 1593)

 これまでと同様、一貫した「完璧を追い求めるな」という考え方ですね。これは言わずもがなですが、いかにリラックスするかが重要な局面で、肩に力が入ったり完璧を追い求めたりすることは百害あって一利なしです。

 

境地瞑想に入るコツ

 雑念が片付くと、自動的に過去情報の閲覧が始まりますが、なかなか始まらない場合はそれを手助けするコツがあります。

 瞑想を始める前に、楽しかったことなどを事前に思い出しておき、瞑想中にそれが出てきた場合は、あえて棚上げせずにその場に留まるようにする、というものです。

 これは映像に限らず、言葉の連想を事前にしておき、瞑想中にそれに関連するものが出現した場合も同様です。引っ掛かりのヒントを、事前に用意するわけですね。

 

やっぱり継続が大事!

 とまあ、色々とまとめてみましたが、まずは力まずに継続して、実際に体験してみないことには始まりませんよね。

 僕はまだ瞑想初心者で、境地瞑想の入り口近辺にいるかと自分では思っているのですが、やはり実感としては「継続することで効果が大きくなる」のでは、ということを感じています。

 脳が前回瞑想した「感覚」を覚えているうちに、再度経験することで積み上げの効果が効いて来るわけです。コレは仕事もスポーツも勉強も、何をやるにしても同じですよね。

 まあ、本当にやろうと思えば(人の迷惑にならないように)トイレで5分間でも実践できるわけです。昼休みに自席で10分だけでもやればいいんですよね。

 また、初心者の僕が一つだけ今言えるのは、気分があちこち分散して集中できないようなときでも、瞑想することで頭がスッキリし、集中しやすい状態にもって行き易くなる、というのを「実感として感じている」ということです。

 いずれ、今回紹介した「深い状態」にもっていけたら、そのノウハウ・体験談もシェアしたいと思います!


 では今日も、一日を面白くするために、ゆっくり、まったりと瞑想していこうか!

 

 

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なぜ話が通じないのか?とイライラしたら対処すべき2つのこと。

 普段、生活している中で意思疎通がうまく図れず、つい「イライラ」「カチン」と、頭にきちゃうことってありますよね!?

  • なぜ、こんな簡単な話が通じないんだろう?
  • なぜ、こんなトンチンカンなことを言ってくるんだろう?
  • 決して高いレベルを要求しているわけではないのに、何故こんなことができないんだろう?

 今回は、このような認識齟齬が起こってしまう根本原因と、その対策について考えてみましょう。

※当記事は「仕事」を例に話を展開しますが、子育てや友達付き合い、家族間の会話を始めとする「人間関係全般」にも同様のことが言えると思うので、自分の立場に応じて読み替えていただければと思います!

 

大前提としての、コンディション作りの話

 人は、「イライラした視野の狭い状態」に陥ると正常にものが判断できなくなります。
 最適な判断を下せる状態を維持するため、日頃からコンディションを整えておく必要がありますよね。

【瞑想】一流企業が続々導入!脳の究極メンテナンス術を分析・実践しよう。 - プロジェクトマネジメントの話とか

瞑想の深さと「魔境」を知っておこう。 - プロジェクトマネジメントの話とか

「寝るのが悔しい、もったいない」と考える原因と2つの対策。 - プロジェクトマネジメントの話とか

 しかし、一個人がどんなに自己管理を徹底していたとしても、仕事量には波があるため繁忙期にタスクが集中してしまうこともあるわけです。結果、連日遅くまで残業することになります。

 普段なら、難なく正常に判断できるようなことでも、睡眠が不足し仕事が立て込むと、ストレスで「イライラモード」に入りやすくなり、物事を判断する際に客観性が失われるわけです。

 この前提を基に、次節以降で、この「イライラモード」に入ってしまった場合に陥りがちな状況を考えていきたいと思います。

 

自分が「相手に求めている水準」は本当に妥当なの?

 同僚、部下、チームメンバー、もっと言えば上司が思うように動いてくれない……。コレ、よくある悩みですよね。相手は人間ですから、何の問題もなく思うように動いてくれることの方がまれなのですが、人はどうしてもそれを期待してしまいます。にんげんだもの。

 その中でも最も顕著なのが、部下や後輩に仕事を依頼した際に「何で、これができないの?何度も言ってるよね?」「何で話が通じないの?」と反射的に反応してしまうケースではないでしょうか。

 この問題が発生する原因はケースバイケースではありますが、主な要因の一つに、自分の中で「相手に求める水準・レベルの設定」がうまく行えていないことが挙げられます。

 なぜこのようなことが起こるのでしょうか?原因と対策について考えてみましょう。

 

人は自分に余裕がないと、相手に「自分と同じ水準」を求めてしまう

 普段は、相手が保有するバックグラウンド、つまり今までの経歴や知識量を推し測りながら会話することができても、自分に余裕がなくなったとたん、無意識のうちに、「相手のレベル=自分と同じレベル」としてモノを考えてしまうことがあります。

 なぜなら相手に合わせる必要がなければ、人は、その方が遥かに楽だからです。自分に大きな負荷がかかった際に、易きに流れてしまうのは、人としての運命(S-A-D-A-M-E)とも言えましょう。

 特に相手が新人・若手であればなおさら注意が必要ですよね。初めからデキる人などいないのですから。(たまにモンスターがいますが、それは一旦置いておいて、と……)

 え?自分は相手のスキルを常にシッカリ考慮しているから問題ないって?

 もちろん、誰もが「自分は大丈夫だ!」と思っているものだと思います。しかし実際問題、あなたは相手のスキルをどこまで理解できているのでしょうか?

 ここで、僕が過去にハマった勘違いを紹介しようと思います。

「経験年数とポジション」の近さが招いた誤解

 昔、ある上流工程のプロジェクトで非常にコミュニケーションが取り辛いメンバーがいました。僕の意図が完全に伝わるまで、必要以上のやりとりが毎回必ず発生していたのです。

 僕と他メンバーとの間ではそのようなことがなかったので、自分の問題なのか?相手の問題なのか?とモヤモヤしていたのですが、ある時期から、技術的な話になると相手の反応が鈍くなる傾向にある、ということが徐々に見えてきました。

 彼は年齢・ポジション共に僕と似たようなものだったので、下流工程(技術寄りの工程)に関する知識もそれなりに持っているはずだ、という思い込みに基づいて、僕は彼と話をしていたのですが、実は彼は、上流専門のSE(企画寄りのメンバー)だったのでした。

 相手に対する期待値(要求する水準)が、相手の力量とずれていたため、うまく意思疎通が図れていなかったわけです。誤解の責任は僕にあるのですが、そこには、バックグラウンドの差から生まれたすれ違いが、少なからずあったわけです。

 自分にとっての常識が相手の非常識であることが多々あります。その逆もまた然りで、相手にとっての常識が僕にとっての未知の領域だということも往々にしてあるわけですね。

 「この程度の話は、相手は当然わかっているはずだ!」という大いなる勘違いは普通に起こり得る身近な問題だ、という話でした。

 次に、具体的にどう対応すれば適切な要求水準を設定できるのか、考えてみましょう。

 

1.余裕がないときこそ、一歩引いて相手と向き合え!

 自分に余裕がないときこそ、客観性を保つため、熱くならずに一歩引くアクションが必要になります。相手と向き合ったときに、目の前の人間がどのような人なのか?新人?取引先?同僚?一歩引いて再度明確にすることで、相手が何者なのかを再確認することができます。

※状況を客観視(=メタ認知)するテクニック自体については、いずれどこかで記事にしようと思いますが、今回は以下の過去記事を参考情報として張っておきます。ポイントは「記録して見返す」作業にあります。

「先延ばし」しがちな人の、キャパシティが小さい理由と対策。 - プロジェクトマネジメントの話とか

 

2.相手が歩んできた道・バックグラウンドを含めて向き合うため会話を増やし、相手目線で考えろ!

 部下、後輩、同僚、チームメンバー、さらには上司のバックグラウンドを理解するよう、ランチや飲み会、喫煙所(僕は吸いませんが……喫煙所のネットワークはある意味羨ましい!)その他、雑談の場で情報交換を行いましょう。バックグラウンドは人間の価値観と同様、人の数だけ存在します。

 バックグラウンドといっても何も職歴・経歴に限った話ではありません。その人がどのような人なのか?人そのものを知る必要があるのです。休日に何をしているか?など含めプライベートの話や趣味の話をすることで、その人の意外な一面が垣間見られることってよくありますよね!?

 そして相手の「人となり」を理解した上で、相手の目線に立ち、噛み砕いてコミュニケーションを展開する必要があるのです。

 とはいえ、相手のバックグラウンドを把握しただけでは、詳細の得手・不得手を理解するのも限界があると思いますし、チーム内の全メンバーのキャラクターを詳細まで完全に把握するのは困難な場合も多いかと思います。

 やはり、最終的には実際のコミュニケーションのやり取りの中で、相手の反応を見ながら、思考回路を推測・把握する必要があるわけです。

 経験年数で何がわかるの?何もわかりません!

 ここで一つ、バックグラウンドを把握する上での「経験年数」という軸について考えたいと思います。

 例えば、あなたが手の空いた部下に、

「このツールを明日までにコーディングして(プログラムして作って)おいてくれないかな」と依頼したとします。

 10年選手のあなたがコーディングしたら1時間で完了するような難易度だとします。

 そして部下は3年選手で一通りのスキルを身につけているとされるプログラマーです。

 あなたは、「自分が3年選手のときであれば、一日もかからなかったであろう」から、十二分な余裕を見積もって「明日まで」という期限で部下に依頼したとします。

 そしてその部下はその日の定時になると、「あと3日ください……」とやってきました。

 話をよく聞いてみると、未経験の技術が多く、必死に調査しながら進めているものの想像以上に難航している、とのこと……。

 この例は、ただ単に部下の見積が甘いだけ、とも考えられますが、実は振る側にも問題があるのです。

 自分が3年選手のときはこのくらいできたから、この人もできるだろう、という予測は一種の甘えとも言えるのです。その経験自体は、何の指標にもなりません。

 なぜなら同じ「3年間」でも、経験した仕事の内容も異なれば、過ごした環境・プロジェクトも異なるからです。増してや、あなたと部下は異なる人間です。

 相手を気遣うために「自分が相手の立場だったらこうする」という考え方をとることがありますが、これはある意味危険なのです。「相手は自分ではない」のだから、単純に立場を置き換えてシミュレーションすることが必ずしも正しいとは限らないわけです。

 本当に必要なのは、その人「個人」がどのような人間なのか?といった、生きた鮮度の高い情報なのです。

 次に、「相手に求める水準」の例として、「プレーヤーとマネージャー」の関係について考えてみましょう。

 

優秀なプレーヤーが必ずしも優秀なマネージャーになれないのは必然?

 よくありがちな「プレーヤーとしては超一流だけどマネージャーとしてはイマイチだね」という話については、枚挙にいとまがありませんが、この問題は主に前述の「要求水準の設定」がうまくいっていないことに起因します。

 さらに言えば、スーパープレーヤーは目線を相手目線として設定することの必要性を頭で理解しながらも、適切にコントロールすることができないのです。

 特に天才肌のタイプの人は、若い頃から自分では「やれて当然」であるが故、「なぜ、相手はそれができないか」を理解することが困難なのです。できない人の気持ちや思考回路が理解できないわけですね。

 これは「持つ者」の宿命です。結果、適切なマネジメントができないわけです。

 このようなすれ違いを感じた際に必要なのは、前述の「相手に求める水準を適切なレベルに設定する」ためにコミュニケーションの質・量を増やすといった地道な関係作り・相互理解以外に、解決策は無いと僕は考えています。

 これは天才と凡人の関係に関わらず、全ての人間関係について言えることですが、「人と人は分かり合えない」という前提から出発したときに、どこまで歩み寄れるか?という話につながります。
※以下の過去記事でも言及しているため、併せて参照ください。

口下手なプログラマと体育会系SEの処世術―7つの習慣【第6の習慣】から考える。 - プロジェクトマネジメントの話とか

 このブログで何度も言い続けていることですが、「人と人とのコミュニケーション」が仕事の成果の9割を決めるのです。これに業種・職種は関係ありません。

 プレーヤーには実務の遂行能力が求められる一方、マネージャーには寛容さが求められるわけですね!

 

子育てや友人関係など、人間関係全般も同じこと!

 冒頭でも述べましたが、今回のテーマは仕事に限った話ではなく、全ての人間関係にも言えることです。目の前の話題について自分の方が経験値が豊富であれば、必ず「当たり前」の基準に差が発生するのです。

 余裕のない状況だからこそ、あえて一歩引いて相手と相手の考え方を冷静に見る。

 理想論に聞こえるかもしれませんが、やはり日頃から意識した場合とそうでない場合では、人間関係に大きな差が生まれるものだと僕は思います。

 

人と人ーー。

誰もが悩む永遠のテーマですが、難しいからこそ、面白いのかもしれませんね!

 

仕事の属人化・ブラックボックス化で自分の価値を高める人たち。

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 こんにちは、wiz7です。先日、仲の良い同僚に「俺って完璧主義なトコロがあるんですよ」と話したら爆笑されました。そこ笑うとこじゃねえし。


 仕事をしていれば、綺麗ごとだけでは済まされない状況に遭遇することが多々あります。ピュアで心優しいあなたが望むか否かに関わらず、ビジネスパーソンには「策士」であることが求められるわけです。

 そんなビジネスマンが、どのような形で「強かさ・腹黒さ・計算高さ」を兼ね備えておくべきかについて考えてみましょう。

タスクを「ブラックボックス化・属人化」することの無意味さと、そのリスク

 以前、寄稿した記事の中で、意図的に情報共有を断ち自分の仕事を「属人化・ブラックボックス化」することで評価を高めようとする人たちが存在する話をしました。 非常に迷惑極まりないですヨねぇ……。
※属人化の防止策についても言及しているので、ご参考に!

next.rikunabi.com

 「この仕様は○○さんに聞かないと誰もわからないな」「やっぱり○○さんが一番詳しいね」といった状態を意図的に作り出し、自分の評価・価値を高めようとする人たちです。
~(中略)~
 もしあなたに少しでも心当たりがあるのであれば、即刻止めることをオススメします。

 本文中でも述べている通り、あらゆる小細工は周囲の人間に全て見透かされている、と考えて間違いありません。例えば、上手く立ち回ろうとしている同僚に対して「あ、アイツさぼってんな……」「うまくミスを揉み消したなー!」などと気付くことって、よくありませんか?

 得てしてこのような場合、周囲に気づかれていないと思っているのは「当の本人のみ」だったりするわけです。

 なぜ彼らは、ブラックボックス化を企てるのでしょうか?

 結論から言えば彼らは「自信がない」ため、策を企てるのです。

 自身のスキルに自信がないため、いかなる手段を使ってでも組織内の評価を獲得すべく、手を尽くすわけです。逆に、自分に自信がある人は評価は後から自然についてくることを知っているので、このような小細工を仕掛ける必要もないわけです。単純な理屈ですね。

 そして前述の通り、その不毛な戦略・画策は周囲から見透かされてしまうため、逆効果にすらなってしまうのです。正に愚の骨頂です。

 ではここでもう一つ、自信がないダメな人たちに見られる「典型的な症状」を考えてみましょう。

「あいつの書いたコードはクソだ!」などと批判する人間に、デキる人がいない理由

「アイツのプログラムはダメだ」「彼の作った設計書はいつも品質が悪い」

 このセリフ、IT業界に身を置いている人であれば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?僕はミニにタコができるほど聞いてきました。

 本当に品質が悪いケースも多々あるので難しいところではありますが……ただ、実際に品質を確認してみると、それほど悪くなかった、ということが往々にしてあるわけです。

 これも先ほどと同様、「自分に自信がない」ことが原因で、相手を貶めることで相対的に「自分の方が上だ」と周囲にアピールすることにより、何とか自尊心を保とうしているわけですね。

 こちらもやはり、周囲のメンバーらには「この人はアピールに必死だなぁ……」としか映らないわけです。評価は上がるどころか、もくろみとは逆に下がる一方です。

 本当に自信とスキルがある人間は、他人をむやみやたらに貶めることは絶対にありません。
 
 自身も過去にスキルの無い時代を経験してきているため、「その痛みを知っている」こと、そして仕事の9割は「人間関係・コミュニケーション」から成り立っていることを熟知しているためです。

人のあるべき姿って?

 僕がこれら「情報のブラックボックス化」「不必要な批判」の例から言いたいことは、「したたかさや計算高さ」は社会人に必須ではあるものの、それを誤った方向に行使した瞬間、自分の首を絞め、自分を追い詰める危険性がある、ということです。
 
 小学校の「道徳の授業」ような話になってしまいますが……あるべき方向に力を行使することで初めて人間は本来の力を発揮できるのです。そもそも考えてもみてください。「後ろめたさ」を頭の片隅に感じながら、あなたは全力疾走できますか?頭のどこかでブレーキがかかってしまいますよね?そんな状態で楽しいワケがないのです。
 
 その悪しき状態が行動に大きく影響を及ぼし、悪い結果につながっていく。これが世間一般で言われている「因果応報」のメカニズムです。これはオカルトとは一切無関係です。

 某東○芝の「不正会計」が騒がれているようですが、そのトップらが日々、どのような気分で仕事をしていたのでしょうか?推して知るべしですね。

誰よりも「周囲のこと」を考えていた同僚

 ここで一つ、ズバ抜けて優秀だった元同僚のエピソードを紹介します。

 常にチームの中心にいた彼は、毎週、木曜・金曜あたりになると、週末の土日の間に「○○山へ遊びに行く!」と、雑談がてら周囲の同僚に言い振らし始めます。また、日頃から自分の持っている情報は極力周囲へ共有し、自分だけが握っている状態を回避していたのでした。

 「自分は一人で出かけることも多いから、何か起これば誰とも連絡が取れなくなる。事故や災害に巻き込まれても、事前に行き先を伝えておけば、それが手掛かりになる」とは元同僚の弁。

 出かけ先まで共有するのは、さすがに仕事のためだけではないのでしょうが、「自分だけが握る情報・タスクを限りなくゼロに近づける」ことをここまで徹底している人を、僕は見たことがありませんでした。今まで様々な人たちに出会ってきましたが、このような人は初めてだったので、酷く驚愕したことを昨日のことのように覚えています。

 そして実際、プロジェクトの超重要な「キーマン」であるにもかかわらず、チームを離脱する際も、引き継ぎらしい引き継ぎ作業があまり発生しなかったのでした。今思い返しても、なんとも不思議な話です。

なぜこの同僚は、そこまで周囲のことが考えられたのか?

 自分がキーマンでありながらも、自分が突然居なくなってもチームが回ること――。

 マネージャーでもない彼がメリットを度外視して、なぜそこまでできるのか。僕は本人に聞くことができませんでした。聞くのが怖かったのだと思います。「ええっ?チームで仕事してんだから、そんなの当たり前っしょ?」と、軽蔑されることを恐れていたのでしょう。
 
 チーム、顧客に与えることが、結果的にリターンにつながる、という原則を熟知していたのかもしれませんが、恐らく彼はリターン云々の次元で仕事をしていませんでした。彼が見ていたのは社内ではなく、ユーザと社会の発展だったのだと思います。「社会貢献」と言ってしまうと、とたんに陳腐な響きとなってしまいますが、結局はそこなんですよね。
「Win-Win」の大きな勘違い―Google社と7つの習慣【第4の習慣】から考える。 - プロジェクトマネジメントの話とか

 正直言うと、僕もそれなりにチームのことを考え、マメに情報共有を行いながら進めてきた「つもり」になっていたのですが、僕は彼の足元にも及びませんでした。仕事に対する姿勢自体に、歴然とした差があったわけです。

 もちろん、必ずしもそこまでする必要があるのか?と問われれば、正直わかりません。ただ、仕事に対する姿勢が僕とは別次元にあることを知ったとき、強い衝撃を受けると同時に、「全体を俯瞰していた気になっていた」自分を恥じたのでした。

健全な処世術としての、人に恥じない「したたかさ」

 仕事は遊びではありません。サークル活動でもありません。「真っ直ぐにのみ」進めるほど、生易しいものではないのです。

 特に、生き馬の目を抜く外資系金融(で働いたことはありませんが、何となくそんなイメージ……)などでは、戦略的な計算に基づいた行動が常に要求されることでしょう。ひたすらゴマをすりつづけ、上手く上司に取り入る政治力も必須でしょう。

 策士であることを否定するつもりは毛頭ありません。それがビジネスの実情です。

 ただーー。

 どうせ頭を使うのであれば、その場しのぎの小細工で取り繕うのではなく、長期的な戦略に基づいた、人に恥じることのない堂々とした「したたかさ」や「計算高さを」持ちたいと思うのです。

 「アイツはぬるい!」

 そう言われることもあるでしょう。3年後の僕がこの記事を読み返したら「うへぇ……青臭え(笑)」と穴があったら入りたくなるかもしれません。

 それでもやはり僕は、前述の元同僚のような、キッチリと世の中を俯瞰できる存在になりたい、そんなことを考えたのでした。
 しかるべき、強かさと計算高さと腹黒さと、恋しさとせつなさと心強さを兼ね備えて!
 
じゃ、今日も楽しんでいきまっしょい!

 

補足(後日追記)

「属人化の防止」を実現させるのはマネージャーの仕事だ、というご指摘がいくつかありましたが、それについては前述の寄稿記事の中にて深く言及しているため、是非そちらも参照ください!

 

photo by Creative Sustainability


photo by Philip Chapman-Bell

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